ヒップホップの起源と歴史|NOA ONLINE DANCE

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▪ヒップホップ誕生の時代背景

1960年代の中後期はアメリカ黒人にとって公民権運動や差別撤廃運動を背景にした黒人文化の主張の時代だった。そうした激動を経て、新しい時代が切り拓かれた。
ヒップホップが登場した当時、音楽と思えないような不思議なサウンドがまさか後世まで生き残る人気ジャンルになるとは、ほとんどの人は考えていなかった。そして、アメリカの音楽業界において、最大の売り上げを記録するジャンルとなり、そこから派生したビジネスがファッション業界、映画界にまで大きな影響を与えることになるなど、当のミュージシャンたちですら思っていなかっただろう。
実際、最初にヒップホップを生み出したアーティストたちは、まさか、ヒップホップがセレブへの最短コースになるなどとは思ってもみなかったはずだ。今やヒップホップ界でもオールド・スクールと呼ばれる初期のアーティストたちは伝説の存在になりつつある。


▪ヒップホップとは

ヒップホップ誕生の歴史は意外に複雑である。ヒップホップの歴史は、ブルースやジャズなど他の黒人音楽とは異なり社会全体の歴史と切り離せない部分があり、それには理由がある。それはヒップホップ自体が「音楽」の一ジャンルではなく、グラフィティーやブレイクダンスなどもその一部とする総合的なアートであるためアメリカの社会的、経済的変化を直接反映する傾向にあったのだ。そのため、ヒップホップについてちゃんと語ろうとするとその時代の社会、政治、文化の状況についても抑える必要がある。


▪ヒップホップのはじまり

ヒップホップの歴史は、まず初めに「元祖DJプレイ」、「DJの父」と呼ばれるクール・ハークから始まる。その後、彼が生み出した観客たちを愉しませるためのDJプレイに独自の思想と音楽的知識を盛り込んで「プラネット・ロック」という大ヒットを生み出したアフリカバンバータ(アメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区リバーサイド出身のミュージシャン、DJ。 黒人の創造性文化を「ヒップホップ」と名付け、ヒップホップの四大要素を提案し、さらに五番目に「知識」を加えたとされる。)を取り上げられる。


彼はヒップホップの発祥地であるブロンクス最強のギャング団のトップに立っていた人物でもあり、そうしたギャング団の歴史も語ることになる。
そんな二人の元祖のテクニックを研究し、それを完成の域に高めたのが次に取り上げるグランドマスターフラッシュ(バルバドス・ブリッジタウン出身のアメリカのヒップホップミュージシャン、DJ)だ。彼は前述の二人より若く、機械オタクだったため、一気にDJテクニックを驚異的なレベルに高めることになった。
三者三様のアーティストによって、ヒップホップの音楽面は完成したと言えるが、ヒップホップを構成するのはそれだけではなく、ブレイクダンスやグラフィティなども忘れるわけにはいかない。


▪ヒップホップの世界進出(1980~1990年)

その後、ヒップホップはニューヨークの限られた地域を出てアメリカ全土へと広まることになるが、そのきっかけを作ったのは、シュガーヒルという小さなレコード会社が見つけた無名の若者たちだ。
1980年代半ば、ヒップホップは世界進出を果たすことになるが、その主役となったのは、「デフジャム・レコード」というインデペンデント・レーベルとそこに所属するアーティストたち。RUN DMC、ビースティー・ボーイズ、パブリック・エネミーらの活躍の背景には、アメリカにおける黒人たちの地位向上があった。
しかし、アメリカ大統領ロナルド・レーガンによる弱者切り捨て政策により、失業者が急増すると、時代は再び過去へと逆戻り。ロドニー・キング事件とそこから始まったロサンゼルス暴動(ロサンゼルス暴動は、1992年4月末から5月初頭にかけて、アメリカ合衆国のロサンゼルスで起きた大規模な暴動。アメリカにおいて異人種間の対立という形を取って現れる「人種暴動」の典型的なものとして知られる。)という悲劇が起きる。


1990年代に入りヒップホップはアメリカを飛び出して、世界へと拡散する。しかし、その中心となったN.W.A(1986年にアメリカのカリフォルニア州コンプトンで結成された、ヒップホップグループ。)の音楽は、皮肉なことにロサンゼルスの混沌が生み出したギャングスタ・ラップとしてアメリカ国内で物議をかもすことになります。
 こうして売れる音楽として認知されたヒップホップは、商業利用されるようになり、時代の最先端となり、トップ・アーティストたちに巨万の富をもたらすことになる。ヒップホップは、時代の変化が生み出した巨大な潮流の総称と呼ぶべき存在になったのだ。

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